鉄道高速化への道のり・・・英国国鉄が残した努力の軌跡

国鉄道の最高運転速度は現在200km/hだ。これは国鉄時代に努力した成果ではあるが・・・

第一章・・・事始め
本の新幹線の開業(1964年)は、世界中、特にヨーロッパに大きな衝撃を与え、ヨーロッパ各国では高速列車開発が急速に進められはじめた。 英国では在来線の高速化の為にAPT計画が始まった。APTは、Advanced Passenger Trainの略。ここで、最初の試験車製作にこぎつける事となった。在来線走行の為振子を採用、運転最高時速は250km/hと・・・


第二章・・・APTの最初の試験車での挫折
に1970年、APT計画最初の試験車、APT-E(APT Experimental)が完成、試験を開始。編成は両脇に動力車、中間に客車2両であった。流線型前面、連接車体、中間幌っぽいところにドアがあるという、かなり変わった車輌であった。 もちろん振子を採用、英国初の振子車輌となった。動力方式はハイパワーのあのガスタービンエンジンが採用された。ところが保守の困難、ガスタービンエンジンの問題で失敗、1976年に廃車となってしまった。 やはりいままで英国鉄道が経験した事のない超高技術がかなり盛り込まれている事とガスタービンエンジンの保守と騒音の問題で失敗したそうだ。ちなみに世界でもガスタービンエンジンが鉄道で実用化された例は無いようだ。


第三章・・・APTの裏で進むモータリゼーション
の頃、英国内ではすでにモータリゼーション(マイカーの普及?)が進行していたため、国鉄は早急な高速列車開発を迫られた。そこで、まだ実験段階であった振子装置を省略、当時の技術を最大限に活用し、実用化に適した車輌を1972年に製作。それがHST(High Speed Train)である。 最高時速200km/hで走行可能なディーゼル車である。編成は客車は後の標準型となるMark 3形、その両脇に流線型の機関車を連結するものである。そして試験を行い、1976年には遂に量産車が製作され、営業運転を開始。HST時代の到来であった。


第四章・・・APTの改革と悲劇の終焉
スタービンのAPT-E失敗後、APT計画は電気鉄道方式に変更され、1978年、クラス370・APT-P(APT Prototype)が登場、主にカーブの多い西海岸本線で試験を行った。APT-Eとの共通点は、連接車体、振子、流線型前面であるが、動力車(機関車)が何と中間車に連結されている。 高速走行用パンタグラフもここで初めて採用?された。パンタは車体直結式で、車体が傾いてもパンタは傾かないようになっている。数編成が製作され、6〜14両で試験を行った。またこの車輌は営業運転を考慮して1等、2等、売店車が連結されている。InterCity APTと呼ばれ注目されていた車輌で、実際に旅客列車の運用に就いた事もあったが やはり経験の薄い超高度な技術が採用されている事から保守が困難だった等の問題が解決しなかった為全車1986年に廃車となってしまった。そしてこれを機に英国で続いてきたAPT計画は終焉を迎えた。


第五章・・・APT断念の後
APTが断念しても、HSTは走っていた。東海岸は最高速度200km/hで走っていたが、西海岸では176km/hとなった。1989年、東海岸本線の電化で性能最高時速225km/hの高速車輌、InterCity 225(クラス91+Mark 4形客車)が登場。当然振子は付いていない。しかし営業運転で225km/hで走る事はないのが残念である。
 そして時は流れ1996年、国鉄民営化。その6年後の2002年、Virgin Trains社のクラス390・Pendolino(ペンドリーノ)が西海岸本線で運用を開始。部品はイタリア製で、何と振子が採用され性能最高速度は225km/hであるなど、APT-Pと同じ様な要素が盛り込まれている。しかし西海岸本線の高速化が断念され運転最高速度は176km/hとされた。いつの日か、Pendolinoが225km/hで営業運転できる様になる日を夢見て・・・


なーんて書いてあるが、英国鉄道はまだまだ。速度面ではフランスのTGV、ドイツのICE、日本の新幹線、韓国のKTXには及ばないのだ。今後、英国鉄道がどんな進化を見せるのか楽しみだ・・ムフフ

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